高山辰雄は心を描き続けた。

にぎにぎ

2013年01月06日 23:53

昨日は、仕事始めだった。
何とか、冬休み中の宿題二つも、
やっと、昨日、提示した。
但し、年頭の所感は、しどろもどろだった。
類似語を重ねて噛んでしまい、
言葉を改めた。
今年は、
「職場では、大人しい」からの脱皮?

昨日は、
昼下がりから新たな詩の広がりを求めるために、
奔走した。
今日は休みだったので、
職場の近所なのに、まだ行っていなかった
「高山辰雄展」(生誕100年記念)に、
やっと、行った。

「1946年、第1回日展でも半年がかりで制作した作品が落選。
 失意のどん底に落とされます。
 そうした中、先輩の日本画家山本丘人の薦めで読んだのが、
 ゴーギャンの伝記。
 高山は、そのまさに破天荒な生き方に、
 画家としての真実を見ました。
 このゴーギャンとの出合いは、
 高山のその後の制作に対する考え方を大きく変えます。
 「色でも形でも自由に描いてやれ」」という覚悟が生まれました。」
 (大分合同新聞。2012年12月25日夕刊
 「浴室」高山辰雄絵(1946年)の記事から)


迷っているとき
悩んでいるとき
苦しんでいるときに、
衝撃を受けた出合いが、
人の方向性を勇気づける。

ぼくは「悩まないことが分からなかった高校時代」に、
中原中也の詩集に出合った。



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