ネオ・ダダ(昭和の美術史)は大分から!
1959~1963の東京でのネオ・ダダ展は、
大分からの吉村益信、磯崎新、赤瀬川原平が、
中心だった。
赤瀬川は、
岡本太郎さんや横尾忠則さんやオノ・ヨーコさんとも
親しかった。
ネオ・ダダの情景は、
アートプラザ(磯崎設計、旧大分県立図書館)の
2階エントランスホールにも写真でも見ることが出来るが、
吉村益信はネオ・ダダのパンフレットをグルグルに巻いて、
ミイラ男になって、銀座を闊歩した。
(後方には自分の絵を描いたシャツを着た赤瀬川が歩いていた)
千円札事件やトマソンや、
尾辻克彦として書いた「父が消えた日」(芥川賞)や、
本「老人力」が有名ではあるが、
美術史を席捲した「赤瀬川原平」の世界を具に、
感じてください。
2月22日(日)まで大分市美術館
(ネオ・ダダからアメリカに渡ってやっと売れた篠原有司男(ギュウチャン)に、
似顔絵を描いてもっらったから?言っているのではありません。
大分市美術館の回し者でもありません。
きっちり、800円払って入場しましたから)
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