紫陽花の願い(ことのは)
ナガサキになってから、ナガサキに行った。
長崎大学医学部の学生だった伯父に、逢いたかった。
平和公園の逞しい筋肉の像の前で、瞳を閉じた。
シーボルト記念館には、2回、行った。
さだまさしさんの詩のフレーズにあった
「蛍茶屋」の「ことのは」に、魅了されていたから。
路面電車の終点の「蛍茶屋」で降りて、
シーボルト記念館には、2回、行った。
昨日、車で、
流れっ放しにしてるFMの声が、
シーボルトさんは、紫陽花が好きだったと、言っていた。
紫陽花は、四片の小ささを、
たくさん寄り添って、紫陽花として、きりっとしている。
雨に負けない様に、小さな四片の「ことのは」を、
引っ付かせて、満面に元気さを、ぐっとさせている。
シーボルトさんは、オランダに帰された。
シーボルトさんは、紫陽花の「ことのは」を、
オランダで、語り続けた。
残して来た娘の名前は「いね」。
祖母の名前と一緒です。
シーボルトさんは、医者として生きた。
洋一郎伯父さんは、医学の勉強途中で、
泣きました。
最初に黒い涙が降った。8月6日。ナガサキになった8月9日。
黒い雨は、いらない。絶対に。永久に。いらない。
紫陽花を、引き立てる小さな四片の「ことのは」が、
寄り添って固く誓う。
透明な雨しか、いらないのです。ぼくの願い。
そして、みんなの絶対の永久の願いなのです。
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