2024年08月19日

夏休みが終わると自殺する生徒が増える

夏休みが終わると学校に行きたくない!
「誰も自分の話しを聞いてくれないから」と自殺する生徒が増える。
それは親は「甘えるな」で先生は「忙しい」
親は嫌なことがあっても親の親に「行け」と強く言われたり
殴られたりで行っていたから。
仮に「苛められていて行きたくない」と先生に言っても、
先生は自分の学級で苛めを出すと自分の評価が低くなるから。
校長教頭も自分達のの学校から苛めを出すと、
自分達の評価が下がるから。
双方の考えを聞いて無理やり握手させて、苛めは無かったことにする。
大人は、子どもへの配慮の無さが多いから自己擁護心が大きいから。
自分の事をまともには話せない不器用で純粋な子どもが、自殺するのです。

僕が楊志館高校の先生だった時、
僕のクラスに苛めがあるとの無記名の手紙が井上校長宛に届いた後、
校長室に呼ばれて、何故か?こっぴどく叱られたことがあった。

  


Posted by にぎにぎ at 21:35Comments(0)日記こだわり人生相談

2024年08月14日

終戦の日に寄せて

 雲間に消えて行った若者を忘れない
  (卓球の早田ひなさんが行きたいと言う
「知覧特攻平和会館」にて恒久平和を誓う)

                  木村 永遠

帰って来たかった
爆弾だけを置いて来たかった

「笑って散っていきます
お母さんも泣かずに喜んでください
生前の不幸は幾重にも
お詫び申し上げます」
生前の不幸より 死に行く不幸なのに
時代が お国が 若者の心を狂わせた

親に特別攻撃隊のことを 言えない者もいた
兄も特攻で亡くなり
今度は自分が 逝こうとしている
本当の親不孝は 親より先に死ぬことだと
知っているから

基地に来たときは
粗末な三角兵舎の中で
お互いお国のためと 固く誓い合った

基地を飛び立つ前夜は
若くして逝くすさまじい恐怖で
押しつぶされそうな自分がいた
普段はあまり飲めないお酒を浴びて
気持ちを 高ぶらせた

祖国朝鮮のアリランを しんみりと歌った
逢いに来た恋人と
夫婦になる約束だけして 涙で別れた
お世話になった食堂のおばちゃんに
「生きるつもりだった 三十年をあげる」
優しい言葉を残して
南の雲間に消えて行った

「靖国神社で逢おう」が 合言葉だった
飛行服を身にまとっている出撃前の若者達
この笑顔に 私は恒久平和を約束したい




平和授業を真剣に聴いた子どもたちが、
戦争を体験しない様に!!
子どもたちが作った校歌は、こちら⤵
https://www.youtube.com/watch?v=OtAs99C7PzM  


2024年08月11日

平和のともしび(宇佐市)

8月15日(木)※小雨決行(雨天時は中止)
19:30~20:30
城井一号掩体壕(宇佐市城井)
入場・参加無料


 滑走路

          木村 永遠

毎年お盆に
妻の実家の宇佐市上乙女に
向かって走る車は
スピードを落とさないと
今にも飛び上がりそうになる

宇佐海軍航空隊・特別攻撃隊
昭和二十年四月六日・四月十二日・
四月十六日・四月二八日・
五月四日と五回もの出撃
八一機・一五四名もの
尊い命が木端微塵

千八百メートルも続く
真っ直ぐさは
飛行機乗りの心を
如何に操縦していたのだろうか
瀬戸内型の穏やかな気候に包まれて
神からも守られている此の土地に
およそ七四年前には
取り返すことの出来ない
やるせなさがあったとは

海軍の真っ白な制服が誇らしげだった
母の兄でさえ
米寿を迎えた席で言っていた
「長崎の原爆で亡くなった
長兄(あに)の骨らしきものを拾った時でさえ
涙が出なかった
戦争は悲しみさえも凍らせる」

掩体壕を左右に見ながら
滑走路を左に曲がって
一式陸上攻撃機の誘導路を
走り切った

ほっとした心に
妻の実家が見えて来る



いつか?平和のともしび で、
この詩を朗読したいものです。

恒久平和のために
小学生が校歌を作りました。⤵
https://www.youtube.com/watch?v=OtAs99C7PzM
  


2024年08月10日

高校球児(マネージャーも含んで)1位は僕にとって

あっこ
     
  
   木村永遠

ボールを追いかけるのは
選手だけでは ないよ
スコアーブックを 付けて
ユニフォームを 洗って
チームを見詰め続けた 君が
十八歳になる ほんのわずか前に
いなくなって しまった

二年生になった 君は
体が そして顔もが 小さくなった
だけど チームを見詰める瞳は 
大丈夫だった時より つぶらだった

君が 十六歳の夏
ボールを追いかける みんなは
甲子園に 行った
君は 病院で みんなの活躍を祈った
みんなも あっこ に 
がんばる ことを 約束した

君は 十七歳の夏
病院での治療を 止めた
思いの丈(命)を
精一杯の声を みんなに響かせよう!
マスクを 外して・・・
だけど チームは負けた
キャプテンは「あっこ に すまない」

二学期 職員室の片隅で大きなマスクで
静かに 本を 読んでいた
あっこ の か細い背中があった
忘れられない(もう帰って来ない) 

日々の感情に左右されて
自分の利益ばかりを追っている 僕らは
あっこ の つぶらな瞳に
いつも 見詰められていたのに
何で 気づかなかったんだろう?

僕らは命の尊さをたまらなく噛み締めて
桜がやっと蕾になった頃 卒業する


(ところで、大在小に贈られた大谷グローブの半分は、
大在小から半数は移った新設の大在東小に、
渡されたのだろうか?)

大在東小の校歌は、こちら⤵
https://www.youtube.com/watch?v=OtAs99C7PzM  


2024年08月05日

長崎が一番熱くて一番涙した日

長崎が一番熱くて
      一番涙した日

          木村 永遠

蝉が ジージ ジージ ジージ … … …
暑い 暑い 暑い … … …

八月九日に 母の兄は 散った
あの爆弾が落とされたときは
夏の日差しの暑さどころではなかった
あの爆弾が落とされたときは
夕立の稲妻の眩しさどころではなかった
自分に向かって まっしぐらに進んでくる
とてつもなく大きい光の束
熱くて 痛くて 眩しくて
目を開けることさえ出来なかっただろう
「熱いよ!痛いよ!水をくれ!!」

母の兄は 東京に行きたかった
祖父母は
「東京は空襲でいつ命を落すか分からない」
息子が 長崎で医学を勉強することを望んだ

あの爆弾が落とされた翌日から
祖父母は 息子を捜しに長崎に入った
息子も 医学部の建物も 跡形とて無く
本人の持ち物が焼けずに残っていただけ
亡骸さえ見つからない!
息子を 長崎に行かせたことに
祖父母は 自分を責めた
庭に供養塔を作って 毎日手を合わせた
孫の私が「息子に似ている」と言って 
私に息子の面影を追った

蝉が ジージ ジージ ジージ … … …
蝉は 元気いっぱいだ
「洋一郎伯父さん!
私は 穏やかな平和を守り続けて
生きていきます
長崎が一番熱くて一番涙した日を
心に 深く 刻みながら」


8月6日は、
大分市立大在東小学校の
最初の「平和授業」です。
平和の大切さを、
じっくり考えて!子どもたち
大在東小の校歌は、
平和が続いての校歌だから。
模範歌唱は、こちら⤵
https://www.youtube.com/watch?v=OtAs99C7PzM