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2013年08月29日

しまなみ海道~尾道~呉~広島~厳島神社

8月27日(火)午前7時、
大分市佐賀関発のフェリーで、
四国に行って、しまなみ海道で、
広島県尾道市に行きました。




尾道に着いて、尾道ラーメンを食べた後、
千光寺公園まで上りました。

猫の細道では、
いい感じのカフェに入りました。




広島市のホテルに行く前に、
呉市に行ってみました。

門の隙間から、
駆逐艦の写真を撮っただけになりました。




夜は、広島市で、お好み焼きを食べたり、
ワインバーに行ったりしました。


8月28日(水)は、
最初、広島県立美術館に行って、
ゴッホ展を堪能しました。




その後、
原爆ドームを見ました。




そして、
原爆の子の像の鐘を鳴らしました。




平和記念公園を後にして、
この旅の最終目的地、
宮島に行きました。

宮島に着いてすぐ、
あなご丼を頂きました。

宮島では、
厳島神社の優美さと、
鹿の人懐っこさに、
癒されました。



その後、北九州回って、
椎田道路で400円ぶち込んで、
昨夜の8時前に帰宅しました。  


Posted by にぎにぎ at 09:46Comments(2)日記

2013年08月23日

東北岩手の「遠野の衝撃!」と東京での「ホッピー?」

先ずは、綺麗どころから



遠野の伝承園の食事処にて。


次に、この娘が、お馬さんと・・・衝撃!!



オシラサマ(伝承園内)


河童は、キュウリが好き!
河童釣り??(遠野の河童淵)



オイラも、キュウリが好き!



「車にポッピー」ではなくて、

焼酎のホッピー割り!



グラスを全部飲み干したら、
焼酎を無料でついでくれると、
後で聞いた。プップー!!

飛行機に乗り遅れて、
行き着いた?蒲田の居酒屋。

とっても美味しくて、安くて、
最高でした☆☆☆(星3っつ)


次に行ったときは、
もっと?蒲田(かまって)よ!!  


Posted by にぎにぎ at 13:54Comments(0)日記こだわり

2013年08月22日

雨ニモマケズ

宮沢賢治記念館で、
詩「雨ニモマケズ」の直筆版複製を、
買いました。

賢治の彫刻刀で彫った様な「コトノハ」に、
魅了されました。



雨は降りましたが、
雨にも雷鳴にも負けずに、
稲妻の様に、東京に向かったけれど・・・


宮沢賢治記念館で、
カンパネルラに、そしてジョンバンニにも逢いました。

物語銀河鉄道の夜の生原稿の複製も、
購入しました。
ジョバンニは、
「なんだかどんなこともよくわからないといふ気持ちがするのでした」




いつまでたってもぼくは、
「なんにもわからないといふ気持ちでいっぱいです」  


Posted by にぎにぎ at 23:31Comments(0)日記こだわり

2013年08月21日

東北旅行

8月19日(月)
朝4時半過ぎには北九州空港に車を走らせる。
羽田空港の近くからレンタカーを借りて、東北に車を走らせる。
高速走っても走っても、なかなか中尊寺には着かない。
4時半過ぎに中尊寺にやっと着く。



宿泊は、花巻温泉・藤三旅館。
風呂がたくさんあって、涼しくて、素晴らしい。


8月20日(火)
8時半過ぎには、
宮沢賢治記念館を見学。



その後、坂を下りて、
イーハートーブ館へ。

車で、遠野へ。
河童淵へ。



河童淵の近所の「伝承園」へ。



13時半前には、遠野から羽田に向かいました。

2回ほど、死にそうになりました。

然しながら、20:50発の飛行機には乗れず、
東京都蒲田に泊まりました。



蒲田で、安くて上手い居酒屋に入れて、
良かった、良かった。


東京から東北往復で、1100Km。
家から北九州空港往復、250Km。

合計、1350Km位、運転しました。

2回ほど、死にそうになり、
飛行機、旅館、ホテルは安価、
レンタカーは軽と節約したつもりでしたが、
飛行機のキャンセル料もあったり、
ツアーよりもお金は、かなりかかりました。

でもツアーには行けない所に行けたし、
とっても、有意義な旅行になりました。  

Posted by にぎにぎ at 23:03Comments(0)日記

2013年08月17日

フォトポエム集「生きるって恥ずかしい」in ReNTReC.

今日、大分県別府市別府駅北高架下
(別府駅降りて、左側、ヤマダ電機駐車場を抜けて、徒歩5分)の、
一番奥、ReNTReC. (音楽ストア・書店・0977-76-5584)さんに、

福岡で評判の良かった
僕のフォトポエム集「生きるって恥ずかしい」(400円)を5冊と、

新たに表紙カバーを付けて益々評判の
フォトポエム集「水を得た女」(咲夜三恵著、400円)を5冊、
置いて頂きました。

自由に手に取って読める見本も置いていますので、
みなさん!どうぞ、行かれてくださいね。





ReNTReC.は、赤い自転車がある所。


フォトポエム集「生きるって恥ずかしい」の
タイトル詩「生きるって恥ずかしい」は、
 
はじめてだから
真っ赤になってうつむく

決して
嫌いな理由(わけ)では
ないのです

むしろ
好きに近いです

心は
時には赤くなることがある

決して
夕焼けに染まった理由(わけ)では
ないのです

むしろ
暗かった日々が
赤くした

身は一つだけど
こころは幾つもあるかも
でも
熱情は
あなたの奥から噴出した
吹き出したんだ感情のやり場は
どこまで募るんだろう

赤裸々に
生きるって
恥ずかしい


この詩の背景に、ピッタリの写真が付いてます。
他に17編もフォトポエム(詩と詩の背景に写真)を、
載せています。

以上、どうぞみなさん!
よろしくお願い致します。  


Posted by にぎにぎ at 18:22Comments(0)日記詩2012年4月~

2013年08月16日

紫陽花の願い

長崎に原子爆弾が落ちてから
ナガサキに行った
長崎大学医学部の学生だった伯父に
逢いたかったから
平和公園の逞しい筋肉像の前で
瞳を閉じた

シーボルト記念館には2回行った
さだまさしさんの詩のフレーズにあった
「蛍茶屋」の美しい地名に
魅了されていたから
路面電車の終点の「蛍茶屋」で降りて
シーボルト記念館には2回行った

昨日車で
流れっ放しにしてるFMの声が
「シーボルトさんは紫陽花が好きだった」と
言っていた

紫陽花は四片の小ささが
たくさん寄り添って
丸い笑みをはっきりとさせている
雨に負けない様に
小さな四片の「ことのは」を引っ付かせて
満面に元気さをみなぎらせている

シーボルトさんはオランダに帰された
シーボルトさんは紫陽花の美しい花弁を
オランダで語り続けた

残して来た娘の名前は「いね」
私の祖母の名前も何故か「いね」

シーボルトさんは医者としての人生を全うした
洋一郎伯父さんは医学の勉強途中で泣きました

最初に黒い雨が降って
ヒロシマになった8月6日
再び黒い雨が降って
ナガサキになった8月9日

黒い雨は要らない
絶対に永久に要らない

紫陽花の丸い笑みを
しっかりと見せてくれる
小さな四片の「ことのは」が
寄り添って固く誓う
「透明な雨しか要らないのです」

私の願い
そしてみんなの絶対の
永久の願いなのです



  


Posted by にぎにぎ at 19:09Comments(0)こだわり詩2012年4月~

2013年08月15日

「永遠の0」は、平和のための物語

大分県宇佐市に、行って来ました。
全国八幡宮の総本社「宇佐神宮」を、
どげんかせんち!思っています。
そして、宇佐には飛行隊があったから、
特攻で散った(散らされた)若い尊い命たち・・・
宇佐に向かって撃ちまくった戦争のために、
亡くなった尊い命、命、命たち・・・・・・・・


宇佐市平和資料館には、
ことばは要らない!

尊い命を失った日本は、
もう、絶対!戦争はしてはいけない。
戦争に協力も、してはいけない。


宇佐市平和資料館には、
映画「永遠の0」で使われた零戦が
展示されています。


今日は、終戦の日。
平和を取り戻した日。。



詩「雲間に消えて行った若者を忘れない」
 (知覧特攻平和会館にて恒久平和を誓う)

帰って来たかった
爆弾だけを置いて来たかった

「笑って散っていきます
お母さんも泣かずに喜んでください
生前の不幸は幾重にも
お詫び申し上げます」
生前の不幸より 死に行く不幸なのに
時代が お国が 若者の心を狂わせた

親に特別攻撃隊のことを 言えない者もいた
兄も特攻で亡くなり
今度は自分が 逝こうとしている
本当の親不孝は 親より先に死ぬことだと
知っているから

基地に来たときは
粗末な三角兵舎の中で
お互いお国のためと 固く誓い合った

基地を飛び立つ前夜は
若くして逝くすさまじい恐怖で
押しつぶされそうな自分がいた
普段はあまり飲めないお酒を浴びて
気持ちを 高ぶらせた

祖国朝鮮のアリランを しんみりと歌った
逢いに来た恋人と
夫婦になる約束だけして 涙で別れた
お世話になった食堂のおばちゃんに
「生きるつもりだった 三十年をあげる」
優しい言葉を残して
南の雲間に消えて行った

「靖国神社で逢おう」が 合言葉だった
飛行服を身にまとっている出撃前の若者達
この笑顔に 私は恒久平和を約束したい
  


Posted by にぎにぎ at 17:25Comments(0)日記こだわり

2013年08月13日

終戦記念日に寄せて。

雲間に消えて行った若者を忘れない
 (知覧特攻平和会館にて恒久平和を誓う)

帰って来たかった
爆弾だけを置いて来たかった

「笑って散っていきます
お母さんも泣かずに喜んでください
生前の不幸は幾重にも
お詫び申し上げます」
生前の不幸より 死に行く不幸なのに
時代が お国が 若者の心を狂わせた

親に特別攻撃隊のことを 言えない者もいた
兄も特攻で亡くなり
今度は自分が 逝こうとしている
本当の親不孝は 親より先に死ぬことだと
知っているから

基地に来たときは
粗末な三角兵舎の中で
お互いお国のためと 固く誓い合った

基地を飛び立つ前夜は
若くして逝くすさまじい恐怖で
押しつぶされそうな自分がいた
普段はあまり飲めないお酒を浴びて
気持ちを 高ぶらせた

祖国朝鮮のアリランを しんみりと歌った
逢いに来た恋人と
夫婦になる約束だけして 涙で別れた
お世話になった食堂のおばちゃんに
「生きるつもりだった 三十年をあげる」
優しい言葉を残して
南の雲間に消えて行った

「靖国神社で逢おう」が 合言葉だった
飛行服を身にまとっている出撃前の若者達
この笑顔に 私は恒久平和を約束したい



  

Posted by にぎにぎ at 21:25Comments(0)こだわり詩2012年4月~

2013年08月11日

道頓堀に、とことん惚れる。

道頓堀で、とことんほれ、る。

貴女に、とことん、惚れる。

食い倒れの街で、食いしん坊の貴女を探す。

入ったお店は、お好み焼き・鉄板焼き「ぼんくら」

「ぼんくら」は「ぼんくら」に、ひとりで入った。





水掛不動さんに、そっと置くお水は、
貴女のもどかしさを、冷やす。
夫婦善哉は、甘ーいい!!




大阪、だから、貴女と彼は、
いつも?大盛ん??
盛夏は、あり過ぎ!暑い!あっちち!熱ちい!!

(奈良県震源の地震速報があった頃、大阪にいた。
電車などのダイヤは、ミダレヤだった。
誤報だった。
電車さんは、許して頂ダイヤ?と言ってた。
でも、
伝えることを忘れていた最悪の状況より、
断然いい☆)
  


Posted by にぎにぎ at 19:39Comments(0)日記こだわり

2013年08月06日

原子爆弾でも原発事故でも、被爆は一緒なんだ!

 長崎が一番熱くて
       一番涙した日

蝉が ジージ ジージ ジージ … … …
暑い 暑い 暑い … … …

八月九日に 母の兄は 散った
あの爆弾が落とされたときは
夏の日差しの暑さどころではなかった
あの爆弾が落とされたときは
夕立の稲妻の眩しさどころではなかった
自分に向かって まっしぐらに進んでくる
とてつもなく大きい光の束
熱くて 痛くて 眩しくて
目を開けることさえ出来なかっただろう
「熱いよ!痛いよ!水をくれ!!」

母の兄は 東京に行きたかった
祖父母は
「東京は空襲でいつ命を落すか分からない」
息子が 長崎で医学を勉強することを望んだ

あの爆弾が落とされた翌日から
祖父母は 息子を捜しに長崎に入った
息子も 医学部の建物も 跡形とて無く
本人の持ち物が焼けずに残っていただけ
亡骸さえ見つからない!
息子を 長崎に行かせたことに
祖父母は 自分を責めた
庭に供養塔を作って 毎日手を合わせた
孫の私が「息子に似ている」と言って 
私に息子の面影を追った

蝉が ジージ ジージ ジージ … … …
蝉は 元気いっぱいだ
「洋一郎伯父さん!
私は 穏やかな平和を守り続けて
生きていきます
長崎が一番熱くて一番涙した日 を
心に 深く 刻みながら」



詩集『おにぎり は すりすり』の中で、
洋一郎伯父さんの悲しみは、ずっと、そのままです


  


Posted by にぎにぎ at 18:36Comments(0)こだわり詩2012年4月~