2017年08月07日
平和の申し子たちへ 泣きながら 抵抗を始めよう
平和の申し子たちへ
泣きながら
抵抗を始めよう
なかにし礼 氏の詩集である。
二〇一四年七月一日火曜日
集団的自衛権が閣議決定された
この日 日本の誇るべき
たった一つの宝物
平和憲法は粉砕された
つまり君たち若者もまた
圧殺されたのである
↑
で、始まる
冒頭の詩「平和の申し子たちへ!」
泣きながら抵抗を始めよう
が、有名ではあるが。
他にも
「さあみんな逃げるんだ」
集団的自衛権の閣議決定に反対し
講義の焼身自殺をはかった人が
いたことを忘れまい
一人いたということはその陰に
身を焼く思いの人が
何万人何百万人何千万人と
いたことを想像すべきだろう
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
「リメンバー」
この地球を宇宙から眺めたら
美しい青い星だ
国境は引かれていない
今もどこかで 戦争はつづいている
悲しみと山のような
屍が折り重なって
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
「少年」
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
少年は感じている
わが背に眠っている
妹は死んでいるかもしれない
しかし少年は思う
そんなことはあってたまるか
死と死の間をかいくぐり
逃げまどい這いずりまわり
このぼくが必死になって
守りぬいてきた妹が
死ぬなんてことが
あってまるか!
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
「死の逃避行」
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
これからは自分の意志で逃げるのよ
自分の意志で生きるのよ
母さんだって間違えることがあるのだから
この言葉を聞きながら
私はたちまちにして大人になった
もはや泣かない
腹が減ったとぐずらない
足手まといにならない
可愛らしさのまったくない
老人のような少年になった
列車には沢山の死体があった
死体を連れて逃避行はできない
走る列車の窓から捨てていく
わめきながら捨てていく
列車の両脇には累々(るいるい)と
死体が投げ出されている
これほど多くの死体を
わが目で見るとは
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
他、七編。
全て、
難解な表現は使っていなくて❗
わかりやすく❗
心に突き刺さる素晴らしい詩❗
この詩集は、最初から辛辣な深刻な詩が、
これでもか!と並んでいる。
集団的自衛権が閣議決定された後、
僕はクラスの生徒に、
「君たちは戦争反対の硬い意思を持っていないと!
戦争に行かないといけなくなるかもしれない」等と、
言ったことがある。
詩「少年」は、
一九四五年八月九日 午前十一時二分
長崎に原爆が投下された直後の実話だと思う。
母の兄が長崎の原爆の犠牲になった僕は、
読みながら止めどなく涙が流れ落ちた。
詩「死の逃避行」は、
満州からの引き上げ列車内の実話だと思う。
この詩の4連
どたりと音がした
おずおずと前を見ると
軍人が頭を打たれて死んでいた
どくどくと血が流れている
軍人の目はじっと私をにらんでいる
ソ連軍機は折り返し
また機銃掃射を行い
遊びあきたがごとくに消え去った
これが戦争だ
生死は偶然でしかない
「戦争は、
戦争を知らない僕には、
予想を遥かに超えた!
運命に左右しまくる!
凍り付く悲しみでしかない!!」
「僕を始めとする、
平和ボケの戦争を知らない人達よ!
多くの尊い命が一瞬にして亡くなった!
日本の八月。
もっともっと!!
もう二度と、泣いたって泣いたって!!
戻って来ない!
掛け替えの無い命の重みを心に刻んで!!
恒久平和を維持することを考えて!!
努力していこうよ」
(「詩の表現方法」に関して
一番感心したのは、
詩「少年」の
一九四五年八月九日 午前十一時二分
長崎に原爆が投下された
具体的な年月日時分や、
詩の舞台の土地を示すために、
詩「グッド・バイ・マイ・ラブ」
大満州帝国黒龍江省牡丹江市の位置の説明に
北緯四十四度三十五分
東経百二十九度三十六分
を、繰り返していた。
この具体性、正確性が、
詩のリアルな辛辣な内容を、
読者の心に突き刺す)
泣きながら
抵抗を始めよう
なかにし礼 氏の詩集である。
二〇一四年七月一日火曜日
集団的自衛権が閣議決定された
この日 日本の誇るべき
たった一つの宝物
平和憲法は粉砕された
つまり君たち若者もまた
圧殺されたのである
↑
で、始まる
冒頭の詩「平和の申し子たちへ!」
泣きながら抵抗を始めよう
が、有名ではあるが。
他にも
「さあみんな逃げるんだ」
集団的自衛権の閣議決定に反対し
講義の焼身自殺をはかった人が
いたことを忘れまい
一人いたということはその陰に
身を焼く思いの人が
何万人何百万人何千万人と
いたことを想像すべきだろう
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
「リメンバー」
この地球を宇宙から眺めたら
美しい青い星だ
国境は引かれていない
今もどこかで 戦争はつづいている
悲しみと山のような
屍が折り重なって
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
「少年」
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
少年は感じている
わが背に眠っている
妹は死んでいるかもしれない
しかし少年は思う
そんなことはあってたまるか
死と死の間をかいくぐり
逃げまどい這いずりまわり
このぼくが必死になって
守りぬいてきた妹が
死ぬなんてことが
あってまるか!
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
「死の逃避行」
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
これからは自分の意志で逃げるのよ
自分の意志で生きるのよ
母さんだって間違えることがあるのだから
この言葉を聞きながら
私はたちまちにして大人になった
もはや泣かない
腹が減ったとぐずらない
足手まといにならない
可愛らしさのまったくない
老人のような少年になった
列車には沢山の死体があった
死体を連れて逃避行はできない
走る列車の窓から捨てていく
わめきながら捨てていく
列車の両脇には累々(るいるい)と
死体が投げ出されている
これほど多くの死体を
わが目で見るとは
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
他、七編。
全て、
難解な表現は使っていなくて❗
わかりやすく❗
心に突き刺さる素晴らしい詩❗
この詩集は、最初から辛辣な深刻な詩が、
これでもか!と並んでいる。
集団的自衛権が閣議決定された後、
僕はクラスの生徒に、
「君たちは戦争反対の硬い意思を持っていないと!
戦争に行かないといけなくなるかもしれない」等と、
言ったことがある。
詩「少年」は、
一九四五年八月九日 午前十一時二分
長崎に原爆が投下された直後の実話だと思う。
母の兄が長崎の原爆の犠牲になった僕は、
読みながら止めどなく涙が流れ落ちた。
詩「死の逃避行」は、
満州からの引き上げ列車内の実話だと思う。
この詩の4連
どたりと音がした
おずおずと前を見ると
軍人が頭を打たれて死んでいた
どくどくと血が流れている
軍人の目はじっと私をにらんでいる
ソ連軍機は折り返し
また機銃掃射を行い
遊びあきたがごとくに消え去った
これが戦争だ
生死は偶然でしかない
「戦争は、
戦争を知らない僕には、
予想を遥かに超えた!
運命に左右しまくる!
凍り付く悲しみでしかない!!」
「僕を始めとする、
平和ボケの戦争を知らない人達よ!
多くの尊い命が一瞬にして亡くなった!
日本の八月。
もっともっと!!
もう二度と、泣いたって泣いたって!!
戻って来ない!
掛け替えの無い命の重みを心に刻んで!!
恒久平和を維持することを考えて!!
努力していこうよ」
(「詩の表現方法」に関して
一番感心したのは、
詩「少年」の
一九四五年八月九日 午前十一時二分
長崎に原爆が投下された
具体的な年月日時分や、
詩の舞台の土地を示すために、
詩「グッド・バイ・マイ・ラブ」
大満州帝国黒龍江省牡丹江市の位置の説明に
北緯四十四度三十五分
東経百二十九度三十六分
を、繰り返していた。
この具体性、正確性が、
詩のリアルな辛辣な内容を、
読者の心に突き刺す)

