2013年06月18日

紫陽花の願い(ことのは)

ナガサキになってから、ナガサキに行った。
長崎大学医学部の学生だった伯父に、逢いたかった。
平和公園の逞しい筋肉の像の前で、瞳を閉じた。

シーボルト記念館には、2回、行った。
さだまさしさんの詩のフレーズにあった
「蛍茶屋」の「ことのは」に、魅了されていたから。
路面電車の終点の「蛍茶屋」で降りて、
シーボルト記念館には、2回、行った。

昨日、車で、
流れっ放しにしてるFMの声が、
シーボルトさんは、紫陽花が好きだったと、言っていた。

紫陽花は、四片の小ささを、
たくさん寄り添って、紫陽花として、きりっとしている。
雨に負けない様に、小さな四片の「ことのは」を、
引っ付かせて、満面に元気さを、ぐっとさせている。

シーボルトさんは、オランダに帰された。
シーボルトさんは、紫陽花の「ことのは」を、
オランダで、語り続けた。

残して来た娘の名前は「いね」。
祖母の名前と一緒です。

シーボルトさんは、医者として生きた。
洋一郎伯父さんは、医学の勉強途中で、
泣きました。

最初に黒い涙が降った。8月6日。ナガサキになった8月9日。
黒い雨は、いらない。絶対に。永久に。いらない。

紫陽花を、引き立てる小さな四片の「ことのは」が、
寄り添って固く誓う。
透明な雨しか、いらないのです。ぼくの願い。
そして、みんなの絶対の永久の願いなのです。




  


Posted by にぎにぎ at 21:25Comments(0)詩2012年4月~