2015年01月13日
ネオ・ダダ(昭和の美術史)は大分から!
1959~1963の東京でのネオ・ダダ展は、
大分からの吉村益信、磯崎新、赤瀬川原平が、
中心だった。
赤瀬川は、
岡本太郎さんや横尾忠則さんやオノ・ヨーコさんとも
親しかった。
ネオ・ダダの情景は、
アートプラザ(磯崎設計、旧大分県立図書館)の
2階エントランスホールにも写真でも見ることが出来るが、
吉村益信はネオ・ダダのパンフレットをグルグルに巻いて、
ミイラ男になって、銀座を闊歩した。
(後方には自分の絵を描いたシャツを着た赤瀬川が歩いていた)
千円札事件やトマソンや、
尾辻克彦として書いた「父が消えた日」(芥川賞)や、
本「老人力」が有名ではあるが、
美術史を席捲した「赤瀬川原平」の世界を具に、
感じてください。
2月22日(日)まで大分市美術館
(ネオ・ダダからアメリカに渡ってやっと売れた篠原有司男(ギュウチャン)に、
似顔絵を描いてもっらったから?言っているのではありません。
大分市美術館の回し者でもありません。
きっちり、800円払って入場しましたから)
大分からの吉村益信、磯崎新、赤瀬川原平が、
中心だった。
赤瀬川は、
岡本太郎さんや横尾忠則さんやオノ・ヨーコさんとも
親しかった。
ネオ・ダダの情景は、
アートプラザ(磯崎設計、旧大分県立図書館)の
2階エントランスホールにも写真でも見ることが出来るが、
吉村益信はネオ・ダダのパンフレットをグルグルに巻いて、
ミイラ男になって、銀座を闊歩した。
(後方には自分の絵を描いたシャツを着た赤瀬川が歩いていた)
千円札事件やトマソンや、
尾辻克彦として書いた「父が消えた日」(芥川賞)や、
本「老人力」が有名ではあるが、
美術史を席捲した「赤瀬川原平」の世界を具に、
感じてください。
2月22日(日)まで大分市美術館
(ネオ・ダダからアメリカに渡ってやっと売れた篠原有司男(ギュウチャン)に、
似顔絵を描いてもっらったから?言っているのではありません。
大分市美術館の回し者でもありません。
きっちり、800円払って入場しましたから)
