2015年01月31日
「九年前の祈り」を読み進むうちに内に受けた衝撃
母も同然のキナコなら、彼の顔を濡らす涙を舐めてあげただろう。しかし犬に育てられただ
けあって舌を使って愛撫するのがうまいのはむしろ彼のほうだった。乳首や性器、そして肛門
に至るまできれいに舐めてくれた。犬のように後ろからのしかかってきて性器を挿入するのが
好きだった。そして犬のようにすぐに射精した。
希敏と一緒にすぐに戻ってこいと言う前に、「ほーらみい」と、予想していたのと一字一句
たがわぬ言葉で母は言い放った。「最初からうまくいかんと思うておった」
。どこからか、「なんのにおいかーい?くせえのお」と後藤のえーこ姉の声
が聞こえた。「まことガイジンはシャワーを浴びるだけで風呂に入らんちゅう話じゃもん
のお、くさや、あたしゃ気持ちが悪い、吐きそうじゃ」とふっちーが呻いた。
他

大分県佐伯市「ランブル」
2015年01月31日
「おおいた詩部(しぶ)」での「僕の詩の朗読」について。
今頃、この記事に気が付きました。
友人でシンガーソングライターの「にしやまひろかず」詩が、
「僕の詩の朗読」についての感想を書いていました。
『この人はすごかった。はじめは、なんかものすごくゆるゆるとしていて、
子供の視点というのかあれは?そういう感じの朗読に大笑いしてしまった。
(詩「ヒサチュウ」など)
後半には、佐賀県での詩のボクシングで最後に朗読したものを読まれていて、
ぐっとくるものがあったなぁ。また、この朗読を聞きたいとおもった。
(詩「あっこ」)』
「12月27日土曜日 大分アトホール おおいた詩部(しぶ) 」の僕の詩の朗読は、
ビデオ撮影したのだが、いまだに見ていない。
はじめての試みとしてCDを流して、曲に合わせて朗読をしたのだが、
自分では成功したとは思っていたが、
その良否は、観客(聴衆)の声でしか判断できない。
にしやまひろかず詩の感想は、とても嬉しかった。
2月8日(日)は「大分合同読者文芸年間賞」の表彰式だ。
栄えある場所で『詩を、みなさんの手元に届けたいので、
フォト・ポエム(フォト咲夜三恵)にしたり朗読したりしています』と
言おうと思っている。
友人でシンガーソングライターの「にしやまひろかず」詩が、
「僕の詩の朗読」についての感想を書いていました。
『この人はすごかった。はじめは、なんかものすごくゆるゆるとしていて、
子供の視点というのかあれは?そういう感じの朗読に大笑いしてしまった。
(詩「ヒサチュウ」など)
後半には、佐賀県での詩のボクシングで最後に朗読したものを読まれていて、
ぐっとくるものがあったなぁ。また、この朗読を聞きたいとおもった。
(詩「あっこ」)』
「12月27日土曜日 大分アトホール おおいた詩部(しぶ) 」の僕の詩の朗読は、
ビデオ撮影したのだが、いまだに見ていない。
はじめての試みとしてCDを流して、曲に合わせて朗読をしたのだが、
自分では成功したとは思っていたが、
その良否は、観客(聴衆)の声でしか判断できない。
にしやまひろかず詩の感想は、とても嬉しかった。
2月8日(日)は「大分合同読者文芸年間賞」の表彰式だ。
栄えある場所で『詩を、みなさんの手元に届けたいので、
フォト・ポエム(フォト咲夜三恵)にしたり朗読したりしています』と
言おうと思っている。

2015年01月31日
『九年前の祈り』小野正嗣 (講談社)第152回芥川賞受賞作
生徒が「卒業考査最後の日」の夜(昨夜)、読み終えました。
物語は9年前に地元の国際交流活動の一環として企画された「カナダ旅行」と
現在、さなえと息子の希敏(ケビン)との故郷での暮らしがパラレル且つ、
当時と今がさなえの意識の中で混濁した状態で進んでいく。
希敏の発達障害と思われる、突発的に時と場所を選ばず起こるミミズがのたうちまわる様な
泣きわめき暴れる姿に、さなえは正直手に負えない気持ちを持ち、
さなえの母は昔からの姿勢そのままに
因果応報的な発言をし、傍観者であろうとする。
過去にさなえは子持ちの中年男性と交際し結婚も考え、
カナダ旅行で知り合ったカナダ人とは
東京で同棲、結婚をし希敏が生まれた。
その悉くをさなえの母は旧来の常識的理由から否定してきた。
さなえにとって故郷で安住の住み処であるはずの実家は、
必ずしも心安らかに暮らせる環境ではない。
希敏の度を過ぎた泣きわめきは、さなえの心を痛めつけ、
握り続けなければいけないはずの
その息子希敏の手を離しそうになってしまう。
そんな時、さなえの心の中で響き渡るのは9年前のカナダ旅行で、
機内で泣き叫ぶ子供を見た時の みっちゃん姉の
「子供はみんな泣くものだ」という言葉なのだが、
それをみっちゃん姉が言ったのか?
果たしてカナダ旅行の時に言ったのか?
さなえの記憶は確かではない。
ただ、悲しみに折れそうになるさなえの心を支えてくれるのは、
みっちゃん姉の存在とその言葉であり、
放してしまいそうになる希敏の手、
母と子の関係を強く握りしめてくれる。
9年前のカナダ旅行の時、
みっちゃん姉は町の教会で何を祈っていたのか?
物語のクライマックスでその9年前の祈りが、さなえの胸に去来した時、
この作品の崇高さと自分と息子を包む淡い一筋の光が見えてくる。
大分の一地方の母と子の描いた小さな物語が、読む者の心を揺さぶり、
それぞれにとって大切なものは何か?を強烈に問うてくる。
(「大分のオバちゃん」の明け透け過ぎる所が凄い?)
(静かにじわじわ心に入ってくる小説が好きか?
最近話題の又吉直樹作「火花」(文学界2月号)の激しい心の噴出が好きか?)
午前中、OBSかぼすタイムを見て、行って来ました。
佐伯市

ランブル
コーヒーは勿論、シュークリームもとっても美味しかった。

僕も持っている宮沢賢治詩「雨ニモマケズ」



佐伯回転寿司マルマン
(僕にとっては高価な寿司)
口の中でトロケル位、とっても美味しかった。

「ちゃんきー」で、たこ焼き買って帰った「きーちゃん?」でした。
物語は9年前に地元の国際交流活動の一環として企画された「カナダ旅行」と
現在、さなえと息子の希敏(ケビン)との故郷での暮らしがパラレル且つ、
当時と今がさなえの意識の中で混濁した状態で進んでいく。
希敏の発達障害と思われる、突発的に時と場所を選ばず起こるミミズがのたうちまわる様な
泣きわめき暴れる姿に、さなえは正直手に負えない気持ちを持ち、
さなえの母は昔からの姿勢そのままに
因果応報的な発言をし、傍観者であろうとする。
過去にさなえは子持ちの中年男性と交際し結婚も考え、
カナダ旅行で知り合ったカナダ人とは
東京で同棲、結婚をし希敏が生まれた。
その悉くをさなえの母は旧来の常識的理由から否定してきた。
さなえにとって故郷で安住の住み処であるはずの実家は、
必ずしも心安らかに暮らせる環境ではない。
希敏の度を過ぎた泣きわめきは、さなえの心を痛めつけ、
握り続けなければいけないはずの
その息子希敏の手を離しそうになってしまう。
そんな時、さなえの心の中で響き渡るのは9年前のカナダ旅行で、
機内で泣き叫ぶ子供を見た時の みっちゃん姉の
「子供はみんな泣くものだ」という言葉なのだが、
それをみっちゃん姉が言ったのか?
果たしてカナダ旅行の時に言ったのか?
さなえの記憶は確かではない。
ただ、悲しみに折れそうになるさなえの心を支えてくれるのは、
みっちゃん姉の存在とその言葉であり、
放してしまいそうになる希敏の手、
母と子の関係を強く握りしめてくれる。
9年前のカナダ旅行の時、
みっちゃん姉は町の教会で何を祈っていたのか?
物語のクライマックスでその9年前の祈りが、さなえの胸に去来した時、
この作品の崇高さと自分と息子を包む淡い一筋の光が見えてくる。
大分の一地方の母と子の描いた小さな物語が、読む者の心を揺さぶり、
それぞれにとって大切なものは何か?を強烈に問うてくる。
(「大分のオバちゃん」の明け透け過ぎる所が凄い?)
(静かにじわじわ心に入ってくる小説が好きか?
最近話題の又吉直樹作「火花」(文学界2月号)の激しい心の噴出が好きか?)
午前中、OBSかぼすタイムを見て、行って来ました。
佐伯市

ランブル
コーヒーは勿論、シュークリームもとっても美味しかった。

僕も持っている宮沢賢治詩「雨ニモマケズ」



佐伯回転寿司マルマン
(僕にとっては高価な寿司)
口の中でトロケル位、とっても美味しかった。

「ちゃんきー」で、たこ焼き買って帰った「きーちゃん?」でした。
2015年01月30日
もうひとつのニュー・シネマ・パラダイス
NHK BS プレミアム1月28日
ニュー・シネマ・パラダイス(伊: Nuovo Cinema Paradiso)は、
1988年公開のイタリア映画。監督はジュゼッペ・トルナトーレ。
中年男性が映画に魅せられた少年時代と青年時代の恋愛を回想する物語。
感傷と郷愁、映画への愛情が描かれた作品である。
後述の劇場公開版が国外において好評を博し、
しばらく停滞期に入っていたイタリア映画の復活を、
内外一般に印象付ける作品となった。
映画の内容と相まってエンニオ・モリコーネの音楽がよく知られている。
ローマ在住の映画監督サルヴァトーレは、
故郷の母からアルフレードが死んだという電話を受け取る。
サルヴァトーレはベッドで寝ながら昔のことを思い出す。
第二次世界大戦中「トト」と呼ばれていた幼いサルヴァトーレ少年の父は戦争に取られ、
彼はシチリア島の僻地の村で、母と妹と暮らしている。
当時、村のたった一つの娯楽施設は、
村の中心の広場にある教会を兼用した小さな映画館だった。
映画に魅了されたトトは何度も映写室に入り込んで、
そのたび映写技師のアルフレードにつまみ出されていた。
ある事件をきっかけに2人は親しくなり、アルフレードはトトに映写機の操作を教えるようになった。
ある日映画館が火事になり、フィルムを救い出そうとしたアルフレードは、火傷で視力を失った。
やがて父親の戦死が伝えられ、
トトは新しく建て直された映画館「新パラダイス座(Nuovo Cinema Paradiso)」で、
子供ながら映写技師として働き、家計を支えるようになった。
〈にぎにぎの感想〉
そんなに数多く映画を観ている僕ではないのですが、
外国映画では1番です。
(「個人授業」よりも「エマニュエル夫人」より、
「オータム・イン・ニューヨーク」よりも)
トトが、可愛い!
純粋な瞳は、飛びっきり輝く☆宝石

(尚、邦画の1番は「幸せの黄色いハンカチ」)
ニュー・シネマ・パラダイス(伊: Nuovo Cinema Paradiso)は、
1988年公開のイタリア映画。監督はジュゼッペ・トルナトーレ。
中年男性が映画に魅せられた少年時代と青年時代の恋愛を回想する物語。
感傷と郷愁、映画への愛情が描かれた作品である。
後述の劇場公開版が国外において好評を博し、
しばらく停滞期に入っていたイタリア映画の復活を、
内外一般に印象付ける作品となった。
映画の内容と相まってエンニオ・モリコーネの音楽がよく知られている。
ローマ在住の映画監督サルヴァトーレは、
故郷の母からアルフレードが死んだという電話を受け取る。
サルヴァトーレはベッドで寝ながら昔のことを思い出す。
第二次世界大戦中「トト」と呼ばれていた幼いサルヴァトーレ少年の父は戦争に取られ、
彼はシチリア島の僻地の村で、母と妹と暮らしている。
当時、村のたった一つの娯楽施設は、
村の中心の広場にある教会を兼用した小さな映画館だった。
映画に魅了されたトトは何度も映写室に入り込んで、
そのたび映写技師のアルフレードにつまみ出されていた。
ある事件をきっかけに2人は親しくなり、アルフレードはトトに映写機の操作を教えるようになった。
ある日映画館が火事になり、フィルムを救い出そうとしたアルフレードは、火傷で視力を失った。
やがて父親の戦死が伝えられ、
トトは新しく建て直された映画館「新パラダイス座(Nuovo Cinema Paradiso)」で、
子供ながら映写技師として働き、家計を支えるようになった。
〈にぎにぎの感想〉
そんなに数多く映画を観ている僕ではないのですが、
外国映画では1番です。
(「個人授業」よりも「エマニュエル夫人」より、
「オータム・イン・ニューヨーク」よりも)
トトが、可愛い!
純粋な瞳は、飛びっきり輝く☆宝石

(尚、邦画の1番は「幸せの黄色いハンカチ」)
2015年01月27日
クローズアップ現代「詩人・吉野弘の心」
今日の午後7時半からのクローズアップ現代(NHK総合)は、
「現代人への〝応援歌〟詩人・吉野弘の心」だった。
作:吉野弘
祝 婚 歌
二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい
生命は
生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命はすべて
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
私は今日、
どこかの花のための
虻(あぶ)だったかもしれない
そして明日は
誰かが
私という花のための
虻であるかもしれない
虹の足
雨があがって
雲間から
乾麺みたいに真直な
陽差しがたくさん地上に刺さり
行手に榛名山が見えたころ
山路を登るバスの中で見たのだ、虹の足を。
眼下にひろがる田圃の上に
虹がそっと足を下ろしたのを!
野面にすらりと足を置いて
虹のアーチが軽やかに
すっくと空に立ったのを!
その虹の足の底に
小さな村といくつかの家が
すっぽりと抱かれて染められていたのだ。
それなのに
家から飛び出して虹の足にさわろうとする人影は見えない。
―――おーい、君の家が虹の中にあるぞォ
乗客たちは頬を火照らせ
野面に立った虹の足に見とれた。
多分、あれはバスの中の僕らには見えて
村の人々には見えないのだ。
そんなこともあるのだろう
他人には見えて
自分には見えない幸福の中で
格別驚きもせず
幸福に生きていることが―――。
夕焼け
いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
娘は坐った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をキュッと噛んで
身体をこわばらせて-----。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持で
美しい夕焼けも見ないで。
和合亮一さんは、饒舌だった。
和合さんは『混迷している現代で、
吉野さんの変わら眼差しが求められている。
吉野さんの眼差しは、
「善悪のいづれかに一方にその人を押し込めないことです」
然しながら、
現代では善悪をはっきり区別し満足している』と指摘した。
和合さんは『「夕焼け」という詩にあるように、
「優しい心の持ち主が傷ついている。
それを見て手を差し伸べたいのに差し伸べられない
この空気感はまさに現代と一致する」
吉野さんは、
「詩」というものは寺子屋のように
人々が膝をつけ合わせて語る大切さを教えようとしている』と語った。
にぎにぎの感想
人を「善か悪か」の2色でしか区別してないことが大問題。
一個人は、善の時もあるし、悪の時もある。
善だと思ってしたことが、悪だと思われることもある。
和合さんは「夕焼け」という詩にあるように
『優しい心の持ち主が傷ついている。
それを見て手を差し伸べたいのに差し伸べられない
この空気感はまさに現代と一致する。
吉野さんは、
「詩」というものは寺子屋のように
人々が膝をつけ合わせて語る大切さを教えようとしている』と語った。
吉野弘詩の作品を通して思う事。
詩は「言」+「寺」
いまこそ寺子屋的な師と弟子。
詩を通して言葉の温もり。
それが大切だと。
じたばたしてばかりの僕は、
吉野弘詩の様に、
人の心の真実を冷静に表す詩を、
書けそうもない。
出来ることといえば、
言葉を繕う前に、心を繋ぎ合せようとすること位?

大在埠頭
「現代人への〝応援歌〟詩人・吉野弘の心」だった。
作:吉野弘
祝 婚 歌
二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい
生命は
生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命はすべて
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
私は今日、
どこかの花のための
虻(あぶ)だったかもしれない
そして明日は
誰かが
私という花のための
虻であるかもしれない
虹の足
雨があがって
雲間から
乾麺みたいに真直な
陽差しがたくさん地上に刺さり
行手に榛名山が見えたころ
山路を登るバスの中で見たのだ、虹の足を。
眼下にひろがる田圃の上に
虹がそっと足を下ろしたのを!
野面にすらりと足を置いて
虹のアーチが軽やかに
すっくと空に立ったのを!
その虹の足の底に
小さな村といくつかの家が
すっぽりと抱かれて染められていたのだ。
それなのに
家から飛び出して虹の足にさわろうとする人影は見えない。
―――おーい、君の家が虹の中にあるぞォ
乗客たちは頬を火照らせ
野面に立った虹の足に見とれた。
多分、あれはバスの中の僕らには見えて
村の人々には見えないのだ。
そんなこともあるのだろう
他人には見えて
自分には見えない幸福の中で
格別驚きもせず
幸福に生きていることが―――。
夕焼け
いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
娘は坐った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をキュッと噛んで
身体をこわばらせて-----。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持で
美しい夕焼けも見ないで。
和合亮一さんは、饒舌だった。
和合さんは『混迷している現代で、
吉野さんの変わら眼差しが求められている。
吉野さんの眼差しは、
「善悪のいづれかに一方にその人を押し込めないことです」
然しながら、
現代では善悪をはっきり区別し満足している』と指摘した。
和合さんは『「夕焼け」という詩にあるように、
「優しい心の持ち主が傷ついている。
それを見て手を差し伸べたいのに差し伸べられない
この空気感はまさに現代と一致する」
吉野さんは、
「詩」というものは寺子屋のように
人々が膝をつけ合わせて語る大切さを教えようとしている』と語った。
にぎにぎの感想
人を「善か悪か」の2色でしか区別してないことが大問題。
一個人は、善の時もあるし、悪の時もある。
善だと思ってしたことが、悪だと思われることもある。
和合さんは「夕焼け」という詩にあるように
『優しい心の持ち主が傷ついている。
それを見て手を差し伸べたいのに差し伸べられない
この空気感はまさに現代と一致する。
吉野さんは、
「詩」というものは寺子屋のように
人々が膝をつけ合わせて語る大切さを教えようとしている』と語った。
吉野弘詩の作品を通して思う事。
詩は「言」+「寺」
いまこそ寺子屋的な師と弟子。
詩を通して言葉の温もり。
それが大切だと。
じたばたしてばかりの僕は、
吉野弘詩の様に、
人の心の真実を冷静に表す詩を、
書けそうもない。
出来ることといえば、
言葉を繕う前に、心を繋ぎ合せようとすること位?

大在埠頭
2015年01月25日
滑走路
毎年お盆に
妻の実家の宇佐市上乙女に
向かって走る車は
スピードを落とさないと
今にも飛び上がりそうになる
宇佐海軍航空隊・特別攻撃隊
昭和二十年四月六日・四月十二日・
四月十六日・四月二八日・
五月四日と五回もの出撃
八一機・一五四名もの
尊い命が木端微塵
千八百メートルも続く
真っ直ぐさは
飛行機乗りの心を
如何に操縦していたのだろうか
瀬戸内型の穏やかな気候に包まれて
神からも守られている此の土地に
およそ七十年前には
取り返すことの出来ない
やるせなさがあったとは
海軍の真っ白な制服が誇らしげだった
母の兄でさえ
米寿を迎えた席で言っていた
「長崎の原爆で亡くなった
長兄の骨らしきものを拾った時でさえ
涙が出なかった。
戦争は悲しみさえも凍らせる」と
掩体壕を左右に見ながら
滑走路を左に曲がって
一式陸上攻撃機の誘導路を
走り切ったほっとした心に
妻の実家が見えて来る
妻の実家の宇佐市上乙女に
向かって走る車は
スピードを落とさないと
今にも飛び上がりそうになる
宇佐海軍航空隊・特別攻撃隊
昭和二十年四月六日・四月十二日・
四月十六日・四月二八日・
五月四日と五回もの出撃
八一機・一五四名もの
尊い命が木端微塵
千八百メートルも続く
真っ直ぐさは
飛行機乗りの心を
如何に操縦していたのだろうか
瀬戸内型の穏やかな気候に包まれて
神からも守られている此の土地に
およそ七十年前には
取り返すことの出来ない
やるせなさがあったとは
海軍の真っ白な制服が誇らしげだった
母の兄でさえ
米寿を迎えた席で言っていた
「長崎の原爆で亡くなった
長兄の骨らしきものを拾った時でさえ
涙が出なかった。
戦争は悲しみさえも凍らせる」と
掩体壕を左右に見ながら
滑走路を左に曲がって
一式陸上攻撃機の誘導路を
走り切ったほっとした心に
妻の実家が見えて来る

2015年01月25日
石牟礼道子▽苦界浄土さまよう魂をどう救う
録画していた
NHK Eテレ
日本人は何をめざしてきたのか⑥
石牟礼道子▽苦界浄土さまよう魂をどう救う
を、観た。
漁師・緒方正人さんが言っていた。
「道子さんと最初逢った時、道子さんは「寒くない?お腹空いていない?」等と
温かい言葉を掛けてくれた。わしら水俣病の患者は、本なんか読まない者が多いから、
石牟礼さんの文学はわからない。実際逢った時の石牟礼さんの人柄が、
みんなを引き付けるんだ」などと。
テレビの中で、
「石牟礼さんが『苦海浄土』を書いたことで、
水俣病問題が単なる訴訟問題に終わらなかった」
とも言っていた人がいた。
僕がこれらの映像を観て心の声を聴いて、
特に印象に残ったのは、
大晦日から正月にかけても、
石牟礼さん達は東京駅そばの日本チッソの前で座り込みを続けた。
石牟礼さんは
「朝、目が覚めると、
猫が便をした後、その便の後始末をしようと、
コンクリートを前足で引っ掻いていた。
土の上をコンクリートが覆っているので、
必死にそうするしかなかったんですね。
都会は土地の呼吸を止めた。
都会のビルは卒塔婆の様だ」と、
嘆いていた。
石牟礼さんが、とても優しい所は、
人間だけではなくて、
人間以外の猫などの生き物や、
自然に対する無償の愛を注ぐところだ。
NHK Eテレ
日本人は何をめざしてきたのか⑥
石牟礼道子▽苦界浄土さまよう魂をどう救う
を、観た。
漁師・緒方正人さんが言っていた。
「道子さんと最初逢った時、道子さんは「寒くない?お腹空いていない?」等と
温かい言葉を掛けてくれた。わしら水俣病の患者は、本なんか読まない者が多いから、
石牟礼さんの文学はわからない。実際逢った時の石牟礼さんの人柄が、
みんなを引き付けるんだ」などと。
テレビの中で、
「石牟礼さんが『苦海浄土』を書いたことで、
水俣病問題が単なる訴訟問題に終わらなかった」
とも言っていた人がいた。
僕がこれらの映像を観て心の声を聴いて、
特に印象に残ったのは、
大晦日から正月にかけても、
石牟礼さん達は東京駅そばの日本チッソの前で座り込みを続けた。
石牟礼さんは
「朝、目が覚めると、
猫が便をした後、その便の後始末をしようと、
コンクリートを前足で引っ掻いていた。
土の上をコンクリートが覆っているので、
必死にそうするしかなかったんですね。
都会は土地の呼吸を止めた。
都会のビルは卒塔婆の様だ」と、
嘆いていた。
石牟礼さんが、とても優しい所は、
人間だけではなくて、
人間以外の猫などの生き物や、
自然に対する無償の愛を注ぐところだ。

2015年01月24日
どんな群れにまぎれても
成人してからは発熱やインフルの記憶なく、
然しながら
出す。
口から言葉を
心から真実を
そして出す。
自分で料理した?ラーメンを食べた後、
出した。
出まくり。
トイレに行きまくり。
かけこみかけこみ。。
すぐに出す。
貯ることが無いから!?
我慢が無いから、
毒や熱を貯めないのか??
結果が全てか?
どんなにシュートしまくっても
負ければ、それまで。
アジア杯サッカー
日本はUAEに負けた。
逆風が吹くから、
負けまいと強くなれる。
追い風が吹いて、
葛西紀明選手は、遠くまで飛べなかった。
常に常に
取捨選択しながら進んで行く。
探しても出てこない記憶や物もある。
無くしたならば、
新たにを選択するしかない。
「昔へのこだわりこそ退歩」への戒め。

応募チラシ集めをするから?
エッセィを書こうとは思ったが、
書くことに狂えない?
詩は感覚から始まるけれど、
文は構成で、
構成は冷静が伴うから。
然しながら
出す。
口から言葉を
心から真実を
そして出す。
自分で料理した?ラーメンを食べた後、
出した。
出まくり。
トイレに行きまくり。
かけこみかけこみ。。
すぐに出す。
貯ることが無いから!?
我慢が無いから、
毒や熱を貯めないのか??
結果が全てか?
どんなにシュートしまくっても
負ければ、それまで。
アジア杯サッカー
日本はUAEに負けた。
逆風が吹くから、
負けまいと強くなれる。
追い風が吹いて、
葛西紀明選手は、遠くまで飛べなかった。
常に常に
取捨選択しながら進んで行く。
探しても出てこない記憶や物もある。
無くしたならば、
新たにを選択するしかない。
「昔へのこだわりこそ退歩」への戒め。

応募チラシ集めをするから?
エッセィを書こうとは思ったが、
書くことに狂えない?
詩は感覚から始まるけれど、
文は構成で、
構成は冷静が伴うから。
2015年01月23日
おわった!!
11月まで、
週1しか休まなかったので、
一流企業並みに、週休二日になった。
生徒指導や綿密な事務処理能力を持った先生に触れると、
自信を無くすな。
こころ育てることは少し出来るけど?
しつこさが無いから。
こころ育てることは少し出来て、
しつこくないから、
生徒や保護者からの受けはいいのだが??
灯油も買えない?夜ではあるが、
寒さに負けないで、
サッカー日本を熱い応援をします。
さて、詩心の中に入り込もう!!

1月17日、大分市カンタループⅡ・ジャズナイト
僕は、うろうろしてた?
週1しか休まなかったので、
一流企業並みに、週休二日になった。
生徒指導や綿密な事務処理能力を持った先生に触れると、
自信を無くすな。
こころ育てることは少し出来るけど?
しつこさが無いから。
こころ育てることは少し出来て、
しつこくないから、
生徒や保護者からの受けはいいのだが??
灯油も買えない?夜ではあるが、
寒さに負けないで、
サッカー日本を熱い応援をします。
さて、詩心の中に入り込もう!!

1月17日、大分市カンタループⅡ・ジャズナイト
僕は、うろうろしてた?
2015年01月22日
嫌難漢字?
「イスラム国って、国があった?」って、
地理少年だった?僕は、
思いましたよ。
(あまりにも高過ぎですよね。
アベチャンどうする?
民主党は蓮舫さんを表に出しての脅威?)
16歳で南国の熊本で暮らしているのに、
よくやったね。
鬼塚雅さん。
世界スノボ「スロープスタイル金メダル」。
おめでとうございます☆
当たり前の様に、英語を話せるあなたは、
あまりにも○○的。
広瀬さんと釘宮さんは、
仲が良かったのではなかったの?
(美術館は大分市美術館の方が素晴らしい!と、
個人的には思います)
さて空席になる大分市長は?
ぼく??
東大出たり高級官僚だったりは、
強い??
作家も東大出が多い。
しかし田中民也さんの様に工業高校卒やら、
西村賢太さんの様に中学卒の方が、
迸る熱き血や肉がヒシヒシと迫って来ると、
個人的には思います。
(入れるのは灯台だけだから、そう思う?)
ところで、
書いたことの無い難漢字が出て来たら、
どうします?
調べますか?飛ばしますか?
今、卒業のための印刷物の確認作業を
行っていますが、
あり得ない漢字に戸惑い、
基本の住民票とも何故に違う漢字に戸惑い、
「どちらでも良い」とのことでしたが、
印刷のプロは「ありえない漢字」を作り、
パソ作業では住民票通りの漢字にして。
「住民票通り」だけを表記して欲しかった。
(『後で、○○言ったり、○○○○は、拒否しますから!!』
ムンクの叫び!?)

鰹節を「おいなり」に先に食べさせ?
刺身を「おいなり」に先に食べられる!
控えめな「おにぎり」です。
地理少年だった?僕は、
思いましたよ。
(あまりにも高過ぎですよね。
アベチャンどうする?
民主党は蓮舫さんを表に出しての脅威?)
16歳で南国の熊本で暮らしているのに、
よくやったね。
鬼塚雅さん。
世界スノボ「スロープスタイル金メダル」。
おめでとうございます☆
当たり前の様に、英語を話せるあなたは、
あまりにも○○的。
広瀬さんと釘宮さんは、
仲が良かったのではなかったの?
(美術館は大分市美術館の方が素晴らしい!と、
個人的には思います)
さて空席になる大分市長は?
ぼく??
東大出たり高級官僚だったりは、
強い??
作家も東大出が多い。
しかし田中民也さんの様に工業高校卒やら、
西村賢太さんの様に中学卒の方が、
迸る熱き血や肉がヒシヒシと迫って来ると、
個人的には思います。
(入れるのは灯台だけだから、そう思う?)
ところで、
書いたことの無い難漢字が出て来たら、
どうします?
調べますか?飛ばしますか?
今、卒業のための印刷物の確認作業を
行っていますが、
あり得ない漢字に戸惑い、
基本の住民票とも何故に違う漢字に戸惑い、
「どちらでも良い」とのことでしたが、
印刷のプロは「ありえない漢字」を作り、
パソ作業では住民票通りの漢字にして。
「住民票通り」だけを表記して欲しかった。
(『後で、○○言ったり、○○○○は、拒否しますから!!』
ムンクの叫び!?)

鰹節を「おいなり」に先に食べさせ?
刺身を「おいなり」に先に食べられる!
控えめな「おにぎり」です。